お気楽トコの幸せタペストリー

何気ない日常の生活の中に多くの幸せがある…そんな幸せを綴っていきたい… 生きてるって幸せなんだなあと伝えたい…
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新しい自分に

ずっとブログをお休みしていました。

その間も訪れて来てくださった方

本当にありがとうございます。


今年一年振り返ると

人生の中でも こんなに自分を見つめた時間はない一年でした。

地面に根っこが伸びている時期だったような気がしています。


家族や友人、仲間の支えがあって生きてこれた、

そんなことを心から感じる日々でした。

友人や仲間、このブログを読んで下さった方に

改めてこの場を借りてお礼を申し上げます。

ありがとうございました。



そして、新しい自分を見つけて

そして自分のやりたいことを

発表する場として

ブログを立ち上げました。

http://ameblo.jp/toko-love-everyday/

こちらも覗いていただけると嬉しいです。

心から出逢いに感謝して!
                        TOKO
                              
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オカマじゃないけど OLやってます

タイトルおかしいんじゃないとお思いのあなた、確かにそのとおり。

そう、私、女として生まれてきたんでオカマではないんです。

そして現在OLやってます。



本屋が大好きな私。

品川駅構内の本屋で思わず買ってしまった本がありました。

文庫本「オカマだけどOLやってます。 完全版」 

作者は能町みね子さん。


本の帯には、「実はまだチン子がついている私の『ドキドキスローOLライフ』。」


挿絵もご自身が描かれているそうで、

表紙に描かれた絵を見る限りだと、

メガネをかけたキリっと髪の毛をひっつめにした綺麗系なすんなりした

女性(?)としてOLライフをされているらしいということがわかりました。

「まじでー!」と手にとって立ち読みした瞬間、これおもしろい!と即購入。

そして、読み始めたら、止まらない。

もともとブログだったそうで、とっても読みやすい。

男性になる前のいろんな心境の変化ももちろん書いてあるけど

男性としてサラリーマンをやって、すぐに「ネクタイ」に後悔した話とか

女性と付き合って、一緒にお泊りするけど

「本能」と違うことをすることは「無理」ということを

体感して素直にそれを行動に移した結果、

女性として就活してあっさり受かっちゃったり、

女性になるべく、いろいろ工夫(←本にも書いてあるけど、苦労じゃなくってあくまでも

自然とそうやっていると強調されていました。)していく姿は

「本来の自分を生きると、自然とイキイキしてくるんだなー」と

文章読んで、こちらも楽しくなってしまいました。

ドラマじゃなくってこれが事実というところがすごい!


実は、これって、性別ということだけでなく

皆、会社入って「何かが違う」とか

本当になりたいものって何?という誰もが感じる部分と共通するし、

それが作者のみね子さんにとっては「女性」だったわけで

なりたいものには 本人が決めちゃえばなっちゃうんだなーと

これまた勇気もらいました。


合コンに誘われてドキドキしたことや

女性特有の○○休暇ってあるけどそれを同僚から「アレで」と耳うちされて

「おおっ!アレかー!」と興奮している部分は

視点が違うので「女性の一人」としてはその興奮ぶりや、女のコのふりをしなきゃと焦るところが

おもしろくて、そして、興味深かったです。

能町さんの文章力にもやられたって感じでした。

もし興味のある方はぜひ読んでみてください。

(文春文庫より657円プラス税金にて絶賛発売中です。)


あなたの隣に働いている笑顔のかわいい○○さん、

もしかしたら、元男性だったかもしれませんよー。


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幸せは足元に

先週、母が大阪の倒れた叔母の看病に行き

今日帰ってきた。

新幹線の切符は父か私がいつも買っていたのを

初めて自分で買った母。

足腰が丈夫とはいえ

一緒に歩くとテンポが昔とは違うし

一般的には「老齢」になっているため

行きも帰りも無事に着くかどうかが気になって仕方がなかった。

しかも今回、母は携帯電話を何かあったときのためにと

大阪出発二日前に、近所の仲良しの携帯電話をすでに使用している「先輩」に

つきあってもらい初めて購入した。

携帯電話の使い方をその日の夜に説明し、

翌日練習にと外から母の携帯に電話すると電話に出ない。

その直後、以心伝心なのかタイムリーに

電車に乗っているときに留守番電話になった私の電話。

なんと公衆電話からの母の声が録音されていた。

「外に出かけてるんだけど、

携帯電話を持って出かけるのを忘れちゃったのー。

トシコのことだから電話してくると思うけど、電話しないでね。」



その翌日、大阪に出発する母を見送るため品川駅のホームに勤務先から

向かった私。

母の携帯に電話するもまた出ない。

するとほどなくして、出発するホームの階段を降りてきた母が私と

会うなりこう言った。

「私、携帯電話にすぐに出れないから、しょっちゅう電話しないでよ。

トシコ(私)から電話かかってきたから、電話しようと公衆電話さがしたんだけど

公衆電話ないのよね、最近。」

「お母さん、携帯電話持ってるよね。」

「持ってるわよ、ほら。」そういって肩から提げたバッグから携帯を取り出す母。

「公衆電話じゃなくて、その携帯電話から電話すればいいじゃん。」

そのあと、母はキョトンとなり、一瞬間があっった。

「そうよねー!」と自分の行動に大笑い。

「こんな母がひとりで叔母の家まで辿りつくだろうか…」

親子の立場逆転で、外見は歳をとった、小学校一年生の子どもを送りだす親の心境の私。

大阪の「でか地図マップ」を買って渡してあったものの、母から連絡が来るまで

気が気でなかった。

ところが、そんな心配は全く無用だったらしく、叔母宅にもその日ちゃんと着き、

電話をかけてきた母の声は自信に満ちて、しっかりしていた。

そして病院への見舞いへも一人で地下鉄を乗り継いでいけるようになったそうで

見舞いをするたびに叔母の症状が落ち着いてきたこともあり

母の声は大阪にいる間、どんどん元気になっているように感じられた。


手術後の叔母は母が声をかけたら、初めて目を開けたそうで、

危篤状態だったのが信じられないような回復だった。


今日、自宅に帰ってきた母はしみじみとこう言った。

「幸せって足元にあるのよね。

さっちゃん(倒れた叔母)が少しづつでも、

元気になってくれることもそうだし、

小さいことのようだけど、本当に大切なのはそんな小さい喜びなのよね。

今回のことで改めて本当にそれを感じたわ。」


大阪での一週間で母が感じた言葉には、

日常の大切な真実があった。


※叔母の病状を心配してくださった皆様ありがとうございます。

まだ、意識がはっきりとは戻っていませんが、

術後一週間予断を許さない状況からは脱しました。

二週間前に倒れたとき、助からないと言われたことから考えると

本当に奇跡的だと思います。

励ましなど本当にありがとうございました。



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叔母を見舞って

おとといの金曜の夜、

大阪にいる母の妹にあたる叔母がくも真下出血で

倒れたと連絡がありました。

勤務先で倒れ、そのまま意識不明の重体となり

その時点では、かなり危ない状態という話でした。


母の下には二人妹がいて、すぐ下の妹にあたる叔母も

くも真下出血で10年前に50代の若さで亡くなったため、

母の動揺は激しく、

金曜の夜は母は一睡もできなかったようです。


大阪の叔母は女でひとつで息子と娘を育てて

そして人情味あふれる人柄の人。


父がガンでもう、抗癌剤治療はできないと言われて

余命宣告をされ家族みんなが落ち込んでいたとき

大阪の今回倒れた叔母と

兵庫に住む母の姉に当たる伯母が

二人でかけつけてくれて、父を元気づけてくれました。

母の姉妹でありながら、

父もおばたちと話すのが嬉しかったようで

おばたちが来た途端、父も元気になりました。


関西名物のたこ焼きを作ろうとして、

我が家の近くのスーパーで

電気のたこ焼き器を買ったけれど

そのたこ焼き器だとタネがはりついてうまくひっくりかえせなくて、

そのままたこ焼きのタネをお好み焼きにして

大笑いしたり、

おば二人の関西の掛け合い漫才のような会話のおかげで

暗かった我が家の雰囲気が一気に明るくなりました。


また倒れた叔母の息子、つまり私の従兄弟は

母のガンの手術の当日や

父がガンで闘病生活をしていたときも

大阪から東京に出張にきたついでにと

病院や我が家に立ち寄ってくれて、

そのたびに、私たち家族は、何度も励まされました。


一夜明けた昨日、朝ご飯の準備しながら、

「私、大阪に行ってみようかと思うんだけど。

私たち何度もいろんな時におばさんにも

○○君(従兄弟)にも助けてもらったじゃない。

家族だけで病院でいると心細かったのが

○○君が来てくれて本当にホッとしたことが忘れられないの。

どう思う?」と母に尋ねたところ、

「そうね、私が本来行かなきゃいけないけど

トシコの方が何をするのも旅慣れてるから

お願いしていい?」と言われ

朝10時の新幹線に乗り、

私は一人、新大阪へ向かいました。


病院を訪ねて、着いた叔母の部屋はICUでした。


ちょうど病院の先生から従兄弟たちが説明を受けていた直後で

倒れた日は危篤に近い状態だったのに、

一夜明けたら状態が落ち着いてきて、このままで行けば

月曜に手術ができるという話になっていました。


倒れたとき、叔母は定年退職後に簡単なアルバイトのような形で

元いた勤務先のとある役所の受付の仕事をしていました。


受付のお客様の接待をしているときに具合が悪くなり、

そのお客様が男の方で倒れそうになったときに

叔母を支えてくださったそうです。


そして、なんとその男性の方は偶然にもお医者様で

瞬時に判断をしてくださったらしく、救急車での搬送も

スムーズに行ったとあとで従兄弟たちに話を聴きました。


ICUに寝ている叔母は呼吸器をつけられ、

頭や体の随所に管が通り、そして

数値を測る器材に囲まれていましたが

表情は穏やかで、

血色も良く

すやすやと気持ち良さそうに眠っていました。


助かる可能性が少しでも出てきたと聴いた後だったので

私もホッと胸をなでおろし、

従兄弟たちと一緒に控え室で話をしました。

父や母の手術のとき、

「大丈夫、絶対、大丈夫」と何度も自分に言い聞かせていたことや

父の最後のころ、

何を見ても何を食べても気持ちに雲がかかったように

晴れず、体全体がずっしりと重かったことや

「看病する方が倒れちゃだめだから寝なきゃダメよ。」と

その時、まさに今寝ている叔母に言われたことが、

従兄弟たちの表情や会話から想い出されました。


従兄弟たちも今、その当時の私の心境なんだろうと思うと、

胸がしめつけられる感じがしましたが、

もう一方で、実はこの体験は非常に貴重な体験であると

私は思っていました。


親に対しての気持ちや自分との対話、

親の生死を頭で考えるのではなく

実際にその場面になったとき、

逃げたいけど逃げることもできず、認めたくないけど

認めなくてはならない現実に

この世の非情さを私は体感しました。


そして、父が亡くなって、嘆いて悲しんで泣いたけれど

こうやって今も生きているという体験から

従兄弟たちも、

きっと「大丈夫」と思えるゆるぎない確信がありました。


病院の先生の助かる、助からないという発言に

両親のとき一喜一憂していたけれど

助からない確率の高かった母は現在元気に生きていて

助かる確率が高かった父は亡くなったという経験から

数値に判断を委ねないという度胸のようなものが私はついて

いることにも今回気づかされました。


叔母の状態は今日も落ち着いており

看護師さんに

「明日の手術を前に自宅でゆっくりしてくださいね。」と

言われた従兄弟たちに別れをつげて

夕方過ぎのお盆の帰省客でごった返す新大阪から

夜、帰宅しました。

休職中、悩んで出雲に行った先から叔母に休職したことを

伝えたとき

「無理はしちゃあかんよ。気を遣いすぎるからね、トシコちゃんは。」

と言ってくれた叔母の声が今も耳に残っています。


母は川崎大師に

弟は父の墓にそれぞれにお願いをしに行ってくれたようです。

明日行われる叔母の手術の成功を信じて

今夜は眠ります。
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迎え火

今日から旧暦のお盆。

我が家では父が帰ってくると母が本当にうれしそうに

お盆の準備をしていました。

「今日だけじゃなくて仏壇に向かって

いっつもお母さん、お父さんに話してるじゃん。」

「そうよ、でも今日はちゃんと帰ってくるのよ。」と

母はウキウキしながら意に介さない返事をしました。



我が家は禅宗のため、その宗派の飾り方を田舎から教わったり

最初のころは見よう見まねでやっていたのですが、

今年は早いものでお盆も4回目。

つまり父がなくなって丸3年が過ぎていることになります。


仏壇に敷物を敷いて、果物や、牛や馬のわらでできた人形を飾り

それからお団子を作ってお供えし、

家紋の入った豆電球で明かりのつく提灯を組み立て、

お花もきれいに飾って時間はすでに夜の7時。


「さあ、迎え火をつけるわよ!」と

気合の入った母と狭い玄関に向かい

玄関の扉をあけ、

迎え火専用の器の中で

母とオバラという植物の茎を乾燥させたものに

火をつけました。


赤々と燃える火と立ち上る煙。


我が家は東京湾に面している建物の10階にあり、

ちょうど羽田空港に着陸する前の飛行機の灯りが正面に見えました。


「お父さん、この迎え火、わかるかな?」

飛行機や、お台場の灯りをみながら、一人つぶやく私。

それとは対照的に、

「お父さんお帰りなさい。

お酒用意しなきゃね!」

すぐに玄関をあがり、姿のない父に声をかける母。


そして、そのあと強制的に、私は母から仏壇の前に座らされ、

般若心経などのお経を上げて

父を迎える、今日のイベントは終了しました。

「お父さん、やっとトシコ(私の本名)も仕事に行きました。

こうやってお経もいっしょに上げることもできました。」

そう仏壇に向かって声に出した母が

振り返って私こう言いました。

「今日はありがとう!

お父さんに代わってお礼を言うわ。」

以前より優しくなった母の言葉に

なぜだか、急に照れ臭く、そして寂しくなった私は

「あっ…そう、

私、お風呂に入ってくるー。」とそそくさとたちあがって

自分の部屋に戻りました。


お父さん、今日ちゃんとお母さんの夢に出てきてあげてね!







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