お気楽トコの幸せタペストリー

何気ない日常の生活の中に多くの幸せがある…そんな幸せを綴っていきたい… 生きてるって幸せなんだなあと伝えたい…
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幸せは足元に

先週、母が大阪の倒れた叔母の看病に行き

今日帰ってきた。

新幹線の切符は父か私がいつも買っていたのを

初めて自分で買った母。

足腰が丈夫とはいえ

一緒に歩くとテンポが昔とは違うし

一般的には「老齢」になっているため

行きも帰りも無事に着くかどうかが気になって仕方がなかった。

しかも今回、母は携帯電話を何かあったときのためにと

大阪出発二日前に、近所の仲良しの携帯電話をすでに使用している「先輩」に

つきあってもらい初めて購入した。

携帯電話の使い方をその日の夜に説明し、

翌日練習にと外から母の携帯に電話すると電話に出ない。

その直後、以心伝心なのかタイムリーに

電車に乗っているときに留守番電話になった私の電話。

なんと公衆電話からの母の声が録音されていた。

「外に出かけてるんだけど、

携帯電話を持って出かけるのを忘れちゃったのー。

トシコのことだから電話してくると思うけど、電話しないでね。」



その翌日、大阪に出発する母を見送るため品川駅のホームに勤務先から

向かった私。

母の携帯に電話するもまた出ない。

するとほどなくして、出発するホームの階段を降りてきた母が私と

会うなりこう言った。

「私、携帯電話にすぐに出れないから、しょっちゅう電話しないでよ。

トシコ(私)から電話かかってきたから、電話しようと公衆電話さがしたんだけど

公衆電話ないのよね、最近。」

「お母さん、携帯電話持ってるよね。」

「持ってるわよ、ほら。」そういって肩から提げたバッグから携帯を取り出す母。

「公衆電話じゃなくて、その携帯電話から電話すればいいじゃん。」

そのあと、母はキョトンとなり、一瞬間があっった。

「そうよねー!」と自分の行動に大笑い。

「こんな母がひとりで叔母の家まで辿りつくだろうか…」

親子の立場逆転で、外見は歳をとった、小学校一年生の子どもを送りだす親の心境の私。

大阪の「でか地図マップ」を買って渡してあったものの、母から連絡が来るまで

気が気でなかった。

ところが、そんな心配は全く無用だったらしく、叔母宅にもその日ちゃんと着き、

電話をかけてきた母の声は自信に満ちて、しっかりしていた。

そして病院への見舞いへも一人で地下鉄を乗り継いでいけるようになったそうで

見舞いをするたびに叔母の症状が落ち着いてきたこともあり

母の声は大阪にいる間、どんどん元気になっているように感じられた。


手術後の叔母は母が声をかけたら、初めて目を開けたそうで、

危篤状態だったのが信じられないような回復だった。


今日、自宅に帰ってきた母はしみじみとこう言った。

「幸せって足元にあるのよね。

さっちゃん(倒れた叔母)が少しづつでも、

元気になってくれることもそうだし、

小さいことのようだけど、本当に大切なのはそんな小さい喜びなのよね。

今回のことで改めて本当にそれを感じたわ。」


大阪での一週間で母が感じた言葉には、

日常の大切な真実があった。


※叔母の病状を心配してくださった皆様ありがとうございます。

まだ、意識がはっきりとは戻っていませんが、

術後一週間予断を許さない状況からは脱しました。

二週間前に倒れたとき、助からないと言われたことから考えると

本当に奇跡的だと思います。

励ましなど本当にありがとうございました。



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叔母を見舞って

おとといの金曜の夜、

大阪にいる母の妹にあたる叔母がくも真下出血で

倒れたと連絡がありました。

勤務先で倒れ、そのまま意識不明の重体となり

その時点では、かなり危ない状態という話でした。


母の下には二人妹がいて、すぐ下の妹にあたる叔母も

くも真下出血で10年前に50代の若さで亡くなったため、

母の動揺は激しく、

金曜の夜は母は一睡もできなかったようです。


大阪の叔母は女でひとつで息子と娘を育てて

そして人情味あふれる人柄の人。


父がガンでもう、抗癌剤治療はできないと言われて

余命宣告をされ家族みんなが落ち込んでいたとき

大阪の今回倒れた叔母と

兵庫に住む母の姉に当たる伯母が

二人でかけつけてくれて、父を元気づけてくれました。

母の姉妹でありながら、

父もおばたちと話すのが嬉しかったようで

おばたちが来た途端、父も元気になりました。


関西名物のたこ焼きを作ろうとして、

我が家の近くのスーパーで

電気のたこ焼き器を買ったけれど

そのたこ焼き器だとタネがはりついてうまくひっくりかえせなくて、

そのままたこ焼きのタネをお好み焼きにして

大笑いしたり、

おば二人の関西の掛け合い漫才のような会話のおかげで

暗かった我が家の雰囲気が一気に明るくなりました。


また倒れた叔母の息子、つまり私の従兄弟は

母のガンの手術の当日や

父がガンで闘病生活をしていたときも

大阪から東京に出張にきたついでにと

病院や我が家に立ち寄ってくれて、

そのたびに、私たち家族は、何度も励まされました。


一夜明けた昨日、朝ご飯の準備しながら、

「私、大阪に行ってみようかと思うんだけど。

私たち何度もいろんな時におばさんにも

○○君(従兄弟)にも助けてもらったじゃない。

家族だけで病院でいると心細かったのが

○○君が来てくれて本当にホッとしたことが忘れられないの。

どう思う?」と母に尋ねたところ、

「そうね、私が本来行かなきゃいけないけど

トシコの方が何をするのも旅慣れてるから

お願いしていい?」と言われ

朝10時の新幹線に乗り、

私は一人、新大阪へ向かいました。


病院を訪ねて、着いた叔母の部屋はICUでした。


ちょうど病院の先生から従兄弟たちが説明を受けていた直後で

倒れた日は危篤に近い状態だったのに、

一夜明けたら状態が落ち着いてきて、このままで行けば

月曜に手術ができるという話になっていました。


倒れたとき、叔母は定年退職後に簡単なアルバイトのような形で

元いた勤務先のとある役所の受付の仕事をしていました。


受付のお客様の接待をしているときに具合が悪くなり、

そのお客様が男の方で倒れそうになったときに

叔母を支えてくださったそうです。


そして、なんとその男性の方は偶然にもお医者様で

瞬時に判断をしてくださったらしく、救急車での搬送も

スムーズに行ったとあとで従兄弟たちに話を聴きました。


ICUに寝ている叔母は呼吸器をつけられ、

頭や体の随所に管が通り、そして

数値を測る器材に囲まれていましたが

表情は穏やかで、

血色も良く

すやすやと気持ち良さそうに眠っていました。


助かる可能性が少しでも出てきたと聴いた後だったので

私もホッと胸をなでおろし、

従兄弟たちと一緒に控え室で話をしました。

父や母の手術のとき、

「大丈夫、絶対、大丈夫」と何度も自分に言い聞かせていたことや

父の最後のころ、

何を見ても何を食べても気持ちに雲がかかったように

晴れず、体全体がずっしりと重かったことや

「看病する方が倒れちゃだめだから寝なきゃダメよ。」と

その時、まさに今寝ている叔母に言われたことが、

従兄弟たちの表情や会話から想い出されました。


従兄弟たちも今、その当時の私の心境なんだろうと思うと、

胸がしめつけられる感じがしましたが、

もう一方で、実はこの体験は非常に貴重な体験であると

私は思っていました。


親に対しての気持ちや自分との対話、

親の生死を頭で考えるのではなく

実際にその場面になったとき、

逃げたいけど逃げることもできず、認めたくないけど

認めなくてはならない現実に

この世の非情さを私は体感しました。


そして、父が亡くなって、嘆いて悲しんで泣いたけれど

こうやって今も生きているという体験から

従兄弟たちも、

きっと「大丈夫」と思えるゆるぎない確信がありました。


病院の先生の助かる、助からないという発言に

両親のとき一喜一憂していたけれど

助からない確率の高かった母は現在元気に生きていて

助かる確率が高かった父は亡くなったという経験から

数値に判断を委ねないという度胸のようなものが私はついて

いることにも今回気づかされました。


叔母の状態は今日も落ち着いており

看護師さんに

「明日の手術を前に自宅でゆっくりしてくださいね。」と

言われた従兄弟たちに別れをつげて

夕方過ぎのお盆の帰省客でごった返す新大阪から

夜、帰宅しました。

休職中、悩んで出雲に行った先から叔母に休職したことを

伝えたとき

「無理はしちゃあかんよ。気を遣いすぎるからね、トシコちゃんは。」

と言ってくれた叔母の声が今も耳に残っています。


母は川崎大師に

弟は父の墓にそれぞれにお願いをしに行ってくれたようです。

明日行われる叔母の手術の成功を信じて

今夜は眠ります。
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迎え火

今日から旧暦のお盆。

我が家では父が帰ってくると母が本当にうれしそうに

お盆の準備をしていました。

「今日だけじゃなくて仏壇に向かって

いっつもお母さん、お父さんに話してるじゃん。」

「そうよ、でも今日はちゃんと帰ってくるのよ。」と

母はウキウキしながら意に介さない返事をしました。



我が家は禅宗のため、その宗派の飾り方を田舎から教わったり

最初のころは見よう見まねでやっていたのですが、

今年は早いものでお盆も4回目。

つまり父がなくなって丸3年が過ぎていることになります。


仏壇に敷物を敷いて、果物や、牛や馬のわらでできた人形を飾り

それからお団子を作ってお供えし、

家紋の入った豆電球で明かりのつく提灯を組み立て、

お花もきれいに飾って時間はすでに夜の7時。


「さあ、迎え火をつけるわよ!」と

気合の入った母と狭い玄関に向かい

玄関の扉をあけ、

迎え火専用の器の中で

母とオバラという植物の茎を乾燥させたものに

火をつけました。


赤々と燃える火と立ち上る煙。


我が家は東京湾に面している建物の10階にあり、

ちょうど羽田空港に着陸する前の飛行機の灯りが正面に見えました。


「お父さん、この迎え火、わかるかな?」

飛行機や、お台場の灯りをみながら、一人つぶやく私。

それとは対照的に、

「お父さんお帰りなさい。

お酒用意しなきゃね!」

すぐに玄関をあがり、姿のない父に声をかける母。


そして、そのあと強制的に、私は母から仏壇の前に座らされ、

般若心経などのお経を上げて

父を迎える、今日のイベントは終了しました。

「お父さん、やっとトシコ(私の本名)も仕事に行きました。

こうやってお経もいっしょに上げることもできました。」

そう仏壇に向かって声に出した母が

振り返って私こう言いました。

「今日はありがとう!

お父さんに代わってお礼を言うわ。」

以前より優しくなった母の言葉に

なぜだか、急に照れ臭く、そして寂しくなった私は

「あっ…そう、

私、お風呂に入ってくるー。」とそそくさとたちあがって

自分の部屋に戻りました。


お父さん、今日ちゃんとお母さんの夢に出てきてあげてね!







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自己責任の一歩

おかげさまで昨日から会社に復帰しました。


行く前までは

会社に人にどう思われるか?とか

仕事できなかったらどうしようか?とか

多くの不安がありましたが、

そんな不安は私の妄想であったことがわかりました。


職場の中に入ったら

「お帰りなさい」と朝逢う人、ひとりひとりから笑顔で挨拶をしてもらいました。

その笑顔をもらうたびに固かった緊張している心がやわらかくなり

私も自然と笑顔で話をしていることに気がつきました。


仕事量や時間などはリハビリ期間中ということでセーブしてもらっており

かなり簡単な作業などをやっています。

焦る気持ちがないと言ったらウソになりますが、

そんな自分を感じながらも、

「今の期間が大切だから。」と別の自分の声が

自分の中で聴こえてきて、気持ちが穏やかになり、

今日は、仕事をしていることが嬉しくてたまらなくなりました。


今回のお休み中、

職場の方たち、家族、彼、友人、仲間たち、、

体をメンテナンスしてくださった方々に助けられて

一歩踏み出すことができました。


改めてこの場を借りてお礼を申し上げます。

本当にありがとうございました。



休み中復帰にあたって誓ったことがあります。



・まず、自分の体の声に従うこと


・全て出来事は自分で起こしていると認めること


・沸き起こった感情を感じること


・感情に振り回されそうになったとき、ちゃんと客観視できるように訓練すること


・自分の中にポジティブな気持ちも ネガティブな気持ちもあると認めること


以上のことはすべて休み中に私が感じた、

今回のお休みの大切な財産。




そして、今日読んだ本の一節。

「プライドはいらない、

その代り、自分の「誇り」を持っていこう。」

このプライドとは周りの人の評価、

そして誇りとはその人が持っている自分のオンリーワン。

もう自分を信じて進もう。

周りの人の評価を気にすることより、

まず在るがままの自分をとことん愛そう。

それが私の第一歩。

今日からまた新しい人生が始まりました。









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椎名 誠さんの本を読む幸せ

椎名 誠さんの「大きな約束」を

知人のマカロンさんから借りておととい読み終わりました。


椎名さんの私小説のようなもので

文芸誌「すばる」に連載されていたものを刊行本として発表した本です。




椎名誠さんの本は何がスキって

旅行や冒険、

そして日常のおいしいものや

家族とのやりとり、

仲間との宴会

そんなものが椎名さんの淡々とした表現だけど

どこか温かい視点で描かれていること。


特に旅行のシーンでは行ったことがない場所でも

椎名さんを通じて その場所の自然や人との出逢い

おいしい食べ物などが 描かれていて

私の五感を刺激して、食べ物のシーンでは

「お腹減ったなー。」と声に出してしまいます。




ここ2年くらい最近私が購入する本は

脳をよくするとか、

ハウツーものが多かったため

久し振りに 椎名さんの本に触れた途端、

脳が「そうそう、こんな本が読みたかったの!」と大喜びしているのを

感じました。


始めて椎名 誠さんを知ったのは

かれこれ20年位前?


一番最初のきっかけは 弟の愛読書の中に

「わしらは怪しい探検隊」という

男仲間と日本のいろんなところでキャンプすることが

描かれたエッセイ(私小説?)を読んだことでした。


少年をそのまま大人にした感じのおじ様たちが

焚き火なんかを囲んで

釣った魚を焼いたり、お酒を飲んで語ったりする話に

一人ワクワクしてしまいました。


今、気がついたけど、私のアウトドアへの憧れは

椎名さんの本だったかもしれません。

そのあと「岳物語」などの私小説を読み

まるで椎名さんのご家族や友人の方は

昔の知り合いの方のような感覚になり、

今回の「大きな約束」では「岳物語」で小学生だった息子の岳さんが

お子さんをアメリカで育てていらっしゃるのを知って

「時の流れは早いなー。」と

しみじみ感慨にふけってしまいました。


椎名さんとは電車の中とか銀座とかですれ違ったり

本のサイン会などでお会いしたことがありますが、

日焼けしたお顔は都会の中ではかなり

目立つワイルドな男性の方です。



椎名 誠さんの本を一度でも読んだことがあった人とは

すぐにでも仲良くなれるかも…って

そんな勝手なことを思っている私。


ああ、本読み終わっちゃったなー。

また読みたいなー(笑)

椎名さん、いつも本当にありがとうございます!!



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上地さん ファンになりました

昨日 NHKのスタジオパークに出ていた上地雄輔さん、

母が上地さんのことを前から気に入っていたので

一緒にご飯を食べながら画面を観ていたのですが、

話術と人に対する接し方に感動してしまいました。


おバカキャラで「羞恥心」というグループで一世を風靡した男性です。



ブログではギネスに登録されるくらい有名だったんですね。

知りませんでした。(スミマセン)


アナウンサーの方との軽妙なやりとりのなかで場を読んで瞬時対応できる人だなーと

感じたのですが、上地さんの会話の中でいくつか「うーん。」と唸る言葉があり、

いつの間にか私が上地さんの笑顔に引き込まれていました。


感動した上地さんの話

1.どんな人とも対等に接っする
  
  決して目上の人をけなすということではなく、

尊敬しつつも 媚びることもせず かつ後輩にも 同じように接する。

2.周りの人がどんなに勧める仕事であったとしても

自分が1%でも疑問があった場合は仕事を受けない。その代り、その逆はあり。

  いつも、自分の直観を信じて行動している。


母が

「この人、本当に人として出来てる!頭が良いわ!」と

嬉しそうに画面を見ながら言ってたのですが、

私もその言葉に納得してしまいました。

小さいころから野球少年で

松坂大輔投手のボールを受けるキャッチャーとして横浜高校で

鍛えた体とそして仲間を大切にする心。


上地さんの子どものような笑顔と素直さ、

そして人に対する思いやりが

多くの人を惹きつけているんだろうな…と番組を観て思ったのですが

今日もっと感動してしまうことがありました。




生放送だったので上地さんに対する質問や応援などのファックスが大量に送られている中で

「二十歳の娘を亡くしたけれど、番組を観て元気になりました。」という、投稿が読まれました。

その場では「僕もがんばります!」とコメントしていたけれど、

今日初めて、上地さんのブログにアクセスしてみて、

なんと昨日の生放送のその投稿に対してきちんと自分の想いをつづっていることを

知りました。


http://ameblo.jp/kamijiyusuke/

(8月5日の記事) 
 


ちなみに今の時点でコメント5000通以上。

しかもヤジじゃなく、上地さんのブログに対して熱い想いを受け取ったファンの人たち。



日本もまだまだ捨てたもんじゃないなーと

勇気と元気をもらったのでした。


私も 上地さんのような素直な気持ちを持っていきたいなー。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~以下 上地さんのブログより

行間は上地さんのブログそのままにしてます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 昨日入れよーとしたけど、責任あるしここに残すのはメチャメチャ勇気いるから、いろいろ考えてやめたブログ。





けどやっぱ





知った以上どーしてもほっとけないから送ります。







昨日の生中、FAXにもありました。



『娘が亡くなりました。』と。




手紙やここでも目にします。




肉親友人恋人知人に先輩後輩。




でもその後にある


『あなたが光です』。




オイラは、本当にそんな大した人間でも芸能人でもありません。





けど、これだけは知っといてください。





オイラは、あなたのそれを知りながら頑張ってます。






残念ながら仕事上どーしても出来る事と出来ない事があります。






けどあなたとは比較してはいけないけど、オイラも永遠の悲しい別れもしてきました。



イェーイつったり


歌ったり


演じたりしながら。





けど、もしあなたがオイラを光に任命してくれるなら






光に少しでもなれるよーに!て毎日生きてます。


輝く方法少しでも探して。バカなりに自由にありえない事したり言ったり。



勝手に思ってるから責任もプレッシャーも感じません。頑張り過ぎないし無理もしません。




ただ無茶はするからまたいつも心配かけんだけど。




けど別れた人の光に。あなたの光になれたらいいなぁ。




つって。






だからどんな人でも『可哀想』とか『ついてない』とか『不幸せ』なんて、きっとまだまだオイラ達が言える言葉じゃありません。





だから光になって♪




つーか、もーなってますから。

(^-^)v








たまに応援してくれる人に



オイラと『会えなくて寂しい。残念だ。』と聞くと、オイラも残念とゆー気持ちと同時に、心のどこかで、そう思ってくれる事が嬉しいです。





でも逆もです。





オイラもあなたに会った事がなくて残念です。



だから



あなたも残念と思った後、そー思ってるオイラを知って、残念だ!と思った後少しでも嬉しいと思ってくれたら何よりです。






1人じゃねーからね。






ファンなんかじゃなくてもいーから




顔と名前が一致しなくても、もぅ仲間であり家族だから。






覚悟決めて船にしっかりつかまってて下さい。





一回でも降りたら申し訳ありませんが『あとは頑張って♪』つって普通に置いてきます。

(^-^)v





乗組員も先に待ってる人もいるもんで。

ヾ(^ー^)




オイラはその覚悟でここも2年半不器用でも、見果てぬあなたと見果てぬ何かを目指してつっ走ってきましたから。






例え辛くても悲しくても泣いても気が狂いそーになっても、この先なったとしても、深呼吸して




頑張ってるあなたがさらに頑張るしかありませぬ。


今この瞬間ここでは、同じ時間を1人じゃないから!って気付かせる事や叫ぶ事しかできねーけど。







とにかく今は少しでも自分の近くの人をまず大事に思ってやってください。






願いでも頼みでもなく







それがあなたの背中をさすれないここの船長の望みだす。







勝手ながら、知ってると思うけど、きっと周りもクルーみんな。










船上に黄色いひまわりたんぽぽ畑がたくさんできますよーに!ずっとずっと。



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辛いときに 何を選択するか?

最近、母とゆっくり話す機会が増えて

母の言葉を素直に聴けるようになったせいか、

「なるほど!」と

母の言葉に思うことがあります。


つい最近

「人生の辛い場面で 

何を選択するかで、

人生は変わってくるのよね。」

と母はつぶやきました。


「どういう意味?」


「人生のなかで もう ダメだと思うときに

そこから逃げて酒、女、博打にはまってしまう人もいるし

逆にそれでもがんばって生きようとする人もいる。

辛いときこそ、自分の選択の仕方によって

人生変わるのよ。」


「ふーん。」


ダメだと思ったときに

何かにすがりたくなるのが人間。

実際に私も 神頼みしたり

グッズを買ったりしているけれど

本当に大切なことは自分を信じることなのかもしれないなーと

ふと思いました。


小さいころ、

両親が神社にお参りしたりすることが

私には不思議で仕方ありませんでした。


「大人は本当に自分を信じてないんだなー。

神様に頼む前に何で自分で動かないんだろう。」

朝起きて、ご飯食べて

空を眺めて、

何があっても起きることが楽しみでしかたなかった子どものころの私の素朴な疑問でした。


そして 大人になって、両親と同じように神頼みしている私がいます。

今の私は神頼みというより

「私、○○していきます。

こうやってお参りできることに感謝します。」

と宣言をするようなお参りの仕方になっていることに気がつきました。


生きていればよいことも

泣きたくなるくらい悪いことも起きて

その繰り返しの中で

周りの人の言葉や

出逢った人から助けられることもあり

そして、自分の中に自分を信じる力によって

また生きていこうと思えることもある。


日常の中に神様はいつもいるのかもしれないなーと

母の言葉から思考が拡がった午後でした。

 
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おぬし、やるなー!!

昨日、行くと気分のが上がる鎌倉に

マカロンさんと出かけました。


今のシーズンはみなさん鎌倉にはビーサンで

途中で浮き輪やら 敷物やらを購入し

水着にTシャツをはおって海を目指すもののようなのですが、

私もマカロンさんも海の中には入らず

ひたすら汗をかいて歩くことが目的。


「がっつり歩くぞー! しっかり汗をかこう!」


普段冷房が効いたビルの中にいるため

運動したい、歩きたい欲望にかられているマカロンさんを隊長に

へこへこついて歩く、子分気分の私。


カラフルなビキニを身につけ

黒くやけた肌、スレンダーなボディをおしみなくさらすお姉ちゃんと

すれ違う私は、

トレッキングシューズにつば広の帽子、

Tシャツとぷにゅぷにゅお腹にユニクロのパンツ、

同じ湘南を歩くのでもずいぶんと格好が違います。


自分の格好に周りとの違和感を抱きつつも

熱中症にならないように水分に気をつけて

今回は鎌倉から七里ガ浜まで海岸沿いの道をメインに

往復しました。


二週間前にも鎌倉を訪れたのですが、

そのときは海の家が所せましと並ぶ、稲村ケ崎を横目に、

体感不快指数90%で

鎌倉から江ノ電の江ノ島駅までひたすら歩き

さすがの私もあまりのじめじめさにげっそりし

途中、SOSを出して腰越過ぎたあたりでお茶タイムをとりました。



そんな状況を危惧していた私だったのですが

昨日は、湿度も前回ほどなく、程よい海風もあり、気温も低めだったため

海の波のキラキラ光る美しさと空の青さの中で

ビーチの横を歩くのが楽しくなり

当初の心配もいつのまにか忘れていました。


そしてがっつり(?)かいた汗を途中の温泉で流し、

日が少し傾き始めて、だいぶ過ごしやすくなり始めた稲村ケ崎の裏道を歩くと

どちらともなく

「ビール飲みたい。」と言葉が出てきました。


稲村ヶ崎の裏通りにある一軒の酒屋で

エビスビールを一本購入しシェアすることにしました。


お昼前に、鎌倉の小町通りの横に入ったカフェで

手作りカレーパンを買っていたので

冷たいビールをごくごくと飲み、

購入したカレーパンを一口ほおばるとスパイシーなおいしさが口に広がり

一気に夏の幸せが私を包みこみました。

「ひやー、最高だね!」

「このカレーパン 生地がおいしいね!」

そんなやりとりをしながら、

立ち止まって私はカレーパンを

ひとくちひとくち丁寧に食べていました。


そして最後のひとくち、と思った瞬間、

私の手にすごい勢いで体当たりしてくるものがありました。


「痛い!!なに?なに?」

手をみると握りしめていたカレーパンは姿、形もなく、

すぐに私は何が起こったかを理解しました。


風のように去ったその正体は、人間の食べ物を狙っている茶色のとんび!


「ひぇー、鳴き声も出さず

すごい勢いだったよ!! 

心臓がドキドキしてるよ!!」

「手大丈夫だった?」

マカロンさんの言葉に指先をみると

どこも傷はありませんでした。


実は今回でとんびに食べ物をとられたのは二回目。

以前は由比ヶ浜の浜辺で友人たちとおにぎりを食べていたら

体当たりされ、そのときはとんびの爪が

手に当たったらしく、指に傷ができて、血が流れていました。


その話を鎌倉に来ると思いだしては

「トンビに気をつけて。」とマカロンさんにしていた私だけに

二度目のトンビの遭遇に

「やられたっ!」と敗北感と怒りが沸いてきました。

マカロンさんもときどき私の過去の話をすると

冗談で

「トコ、頭の上に食べモノ置いてあげようか、うっしっし。」と言ってたのに

そんなことすっかり忘れていたほろ酔いの場面でその話が

現実になったことにちょっと驚いているようでした。


そして、怒ってもカレーパンが戻ってくるではなし、

怪我しなくて良かったと自分を納得させました。


いやー、ほんとに驚いた。

怒るに怒れない出来事ってありますね。


トンビ、いつから私のカレーパン狙っていたんだろう。


敵ながらその身のこなし、あっぱれでした。







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泣いた…川村かおりさんの死

金スマを観ました。


川村かおりさんの追悼番組ともいえる

ドキュメンタリー。

ちょうどつい最近、同じく金スマで川村さんの特集をやっていたのを

観ていたため 亡くなられたyahooのニュースの記事を見て

おとといは本当にショックでした。


今日の特集でもまるでまだ生きているかのように

音楽に対する情熱や

まだ7歳のお子さんルチアちゃんに対する想いを

笑顔で話すかおりさん。


テレビはその日その日を大切にしながら生きる

いつも笑顔のかおりさんを映しだしていました。



病状を敏感に感じとってママの言うことをよく聴くお嬢さんのルチアちゃん。

そして子どもでありながら、一生懸命我慢をしている姿を見て

申し訳ないという想いがあふれるカオリさん。


お互いを思いやるその姿に

美しい愛を感じながらも

あまりの切なさに涙がこぼれました。


あと余命一年と宣告されて

子どもを遺さなければならない母親の気持ちはどんなに辛かったことでしょう。


子どももいない結婚もしていない私ですら、

その辛さを想像するだけで、胸が苦しくなります。



今年のお正月、余命を宣告された後の決意。

「音楽にずっと携わっていきたい。

例えお客が3人であったとしてもギター片手に音楽を演奏したい。

音楽に携わるのは人とつながりたいから。

夢や希望のそばにいたいから。」


かおりさんの言葉です。


そしてこんな強くて愛にあふれたかおりさんのお子さんの

ルチアちゃんなら必ずこの悲しみを乗り越えられると 

自分勝手であるかもしれないけれど私は希望を抱いています。


かおりさん まだ心残りはあるかもしれないけれど

多くの勇気を私はもらいました。


本当に本当にありがとう!


そして、どうか天国で好きな歌をいっぱい歌ってください!





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