お気楽トコの幸せタペストリー

何気ない日常の生活の中に多くの幸せがある…そんな幸せを綴っていきたい… 生きてるって幸せなんだなあと伝えたい…
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叔母を見舞って

おとといの金曜の夜、

大阪にいる母の妹にあたる叔母がくも真下出血で

倒れたと連絡がありました。

勤務先で倒れ、そのまま意識不明の重体となり

その時点では、かなり危ない状態という話でした。


母の下には二人妹がいて、すぐ下の妹にあたる叔母も

くも真下出血で10年前に50代の若さで亡くなったため、

母の動揺は激しく、

金曜の夜は母は一睡もできなかったようです。


大阪の叔母は女でひとつで息子と娘を育てて

そして人情味あふれる人柄の人。


父がガンでもう、抗癌剤治療はできないと言われて

余命宣告をされ家族みんなが落ち込んでいたとき

大阪の今回倒れた叔母と

兵庫に住む母の姉に当たる伯母が

二人でかけつけてくれて、父を元気づけてくれました。

母の姉妹でありながら、

父もおばたちと話すのが嬉しかったようで

おばたちが来た途端、父も元気になりました。


関西名物のたこ焼きを作ろうとして、

我が家の近くのスーパーで

電気のたこ焼き器を買ったけれど

そのたこ焼き器だとタネがはりついてうまくひっくりかえせなくて、

そのままたこ焼きのタネをお好み焼きにして

大笑いしたり、

おば二人の関西の掛け合い漫才のような会話のおかげで

暗かった我が家の雰囲気が一気に明るくなりました。


また倒れた叔母の息子、つまり私の従兄弟は

母のガンの手術の当日や

父がガンで闘病生活をしていたときも

大阪から東京に出張にきたついでにと

病院や我が家に立ち寄ってくれて、

そのたびに、私たち家族は、何度も励まされました。


一夜明けた昨日、朝ご飯の準備しながら、

「私、大阪に行ってみようかと思うんだけど。

私たち何度もいろんな時におばさんにも

○○君(従兄弟)にも助けてもらったじゃない。

家族だけで病院でいると心細かったのが

○○君が来てくれて本当にホッとしたことが忘れられないの。

どう思う?」と母に尋ねたところ、

「そうね、私が本来行かなきゃいけないけど

トシコの方が何をするのも旅慣れてるから

お願いしていい?」と言われ

朝10時の新幹線に乗り、

私は一人、新大阪へ向かいました。


病院を訪ねて、着いた叔母の部屋はICUでした。


ちょうど病院の先生から従兄弟たちが説明を受けていた直後で

倒れた日は危篤に近い状態だったのに、

一夜明けたら状態が落ち着いてきて、このままで行けば

月曜に手術ができるという話になっていました。


倒れたとき、叔母は定年退職後に簡単なアルバイトのような形で

元いた勤務先のとある役所の受付の仕事をしていました。


受付のお客様の接待をしているときに具合が悪くなり、

そのお客様が男の方で倒れそうになったときに

叔母を支えてくださったそうです。


そして、なんとその男性の方は偶然にもお医者様で

瞬時に判断をしてくださったらしく、救急車での搬送も

スムーズに行ったとあとで従兄弟たちに話を聴きました。


ICUに寝ている叔母は呼吸器をつけられ、

頭や体の随所に管が通り、そして

数値を測る器材に囲まれていましたが

表情は穏やかで、

血色も良く

すやすやと気持ち良さそうに眠っていました。


助かる可能性が少しでも出てきたと聴いた後だったので

私もホッと胸をなでおろし、

従兄弟たちと一緒に控え室で話をしました。

父や母の手術のとき、

「大丈夫、絶対、大丈夫」と何度も自分に言い聞かせていたことや

父の最後のころ、

何を見ても何を食べても気持ちに雲がかかったように

晴れず、体全体がずっしりと重かったことや

「看病する方が倒れちゃだめだから寝なきゃダメよ。」と

その時、まさに今寝ている叔母に言われたことが、

従兄弟たちの表情や会話から想い出されました。


従兄弟たちも今、その当時の私の心境なんだろうと思うと、

胸がしめつけられる感じがしましたが、

もう一方で、実はこの体験は非常に貴重な体験であると

私は思っていました。


親に対しての気持ちや自分との対話、

親の生死を頭で考えるのではなく

実際にその場面になったとき、

逃げたいけど逃げることもできず、認めたくないけど

認めなくてはならない現実に

この世の非情さを私は体感しました。


そして、父が亡くなって、嘆いて悲しんで泣いたけれど

こうやって今も生きているという体験から

従兄弟たちも、

きっと「大丈夫」と思えるゆるぎない確信がありました。


病院の先生の助かる、助からないという発言に

両親のとき一喜一憂していたけれど

助からない確率の高かった母は現在元気に生きていて

助かる確率が高かった父は亡くなったという経験から

数値に判断を委ねないという度胸のようなものが私はついて

いることにも今回気づかされました。


叔母の状態は今日も落ち着いており

看護師さんに

「明日の手術を前に自宅でゆっくりしてくださいね。」と

言われた従兄弟たちに別れをつげて

夕方過ぎのお盆の帰省客でごった返す新大阪から

夜、帰宅しました。

休職中、悩んで出雲に行った先から叔母に休職したことを

伝えたとき

「無理はしちゃあかんよ。気を遣いすぎるからね、トシコちゃんは。」

と言ってくれた叔母の声が今も耳に残っています。


母は川崎大師に

弟は父の墓にそれぞれにお願いをしに行ってくれたようです。

明日行われる叔母の手術の成功を信じて

今夜は眠ります。
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2012-04-08 Sun 23:46
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